太秦家


桜井家庶流。興福寺慈尊院の住職だった供親が復飾を命じられ、太秦を称した。供康のとき華族に列し、男爵を授けられた。

太秦供親
生没年:1828-1872
父:権中納言 堀河康親
義父:左近衛権中将 桜井供秀
1839 興福寺慈尊院入寺 堯雅
1859-1868 慈尊院住職
1868 復飾
妻:高野周子、因子(父:左近衛権中将 高野保美
1866-1925 (養子)供康
太秦供康
生没年:1866-1925
父:右兵衛権佐 堀河親賀
義父:太秦供親
陸軍歩兵少佐
貴族院議員
1884-1925 男爵
妻:山井信子(夫:山井氏胤
1899ー1978 康光
登美子(夫:平山洋三郎)
1916-1971 美枝子
太秦康光
生没年:1899ー1978
父:男爵 太秦供康
理学博士
北海道大学名誉教授
1925-1947 男爵
妻:京極智子(父:子爵 京極高義
1930- 寛子(夫:岩清水了)
1935- 康紀
1938- 純子(夫:寿原良高)
太秦康紀
生没年:1935-
父:男爵 太秦康光
妻:横尾聖子1944-(父:横尾哲夫)
1967- 康志

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