大神氏で長宗我部氏の旧臣。のち山内氏に使える。干城の家系は、干城の父景井が谷氏別家(秦山家)から分家して興した。干城は熊本鎮台司令長官として西南戦争時に熊本城の防衛を指揮したことで名高い。
- 谷景井
-
- 生没年:1795-1870
- 父:谷好井
- 通称:万七
- 土佐藩士
- 妻:?-1830(父:桐島某)
- 妻:伊久?-1840(父:小野数右衛門)
- 男
- 男
- 男
- 1837-1911 干城
- 1839-1860 由利
- 谷干城
-
- 生没年:1837-1911
- 父:谷万七
- 通称:申太郎、守部
- 1870 高知藩少参事
- 1871 陸軍大佐
- 1871 兵部権大丞
- 1872 陸軍裁判長
- 1872 陸軍少将
- 1873 熊本鎮台司令長官
- 1874 台湾出兵
- 1874 台湾蕃地事務参謀
- 1876 熊本鎮台司令長官
- 1877 熊本城防衛戦
- 1878 陸軍中将
- 1880-1881 陸軍士官学校長
- 1884-1885 学習院長
- 1884-1911 子爵
- 1885-1887 農商務大臣
- 1886 勲一等旭日大綬章
- 1886 正四位
- 1886 従二位
- 1890 貴族院議員
- 1911 勲一等旭日桐花大綬章
- 1911 正二位
- 妻:国沢玖満子1844-1909(父:国沢通辰)
- 1880-1924 芳子(夫:男爵 浅野忠純)
- 1896-1919 猛熊
- 1857-1889 (養子)乙猪