Reichsarchiv ~世界帝王事典~

坪井氏(長州藩士)

織田秀信の子孫を称する家系で、美濃出身。信道は江戸で蘭医学を学び、長州藩藩医となる。養子の信良は学者、航三は海軍に進んだ。

坪井信道
生没年:1832-1867
父:坪井信行
蘭医
1837 長州藩藩医
妻:
娘(夫:坪井信良
1823-1904 (養子)信良
1842-1898 (養子)航三
坪井信良 
生没年:1823-1904
父:佐渡養順
義父:坪井信道
初名:佐渡良益
1858 お玉が池種痘所設立
1864 幕府医師
1864 法眼
1874 東京府病院長
妻:(父:坪井信道
1863-1913 正五郎
坪生正五郎 
生没年:1863-1913
父:坪井信良
人類学者
1892 帝国大学理科大学教授
1899 理学博士
妻:箕作直子(父:箕作秋坪)
1893-1986 誠太郎
1902-1982 忠二
春(夫:西田正三)
菊(佐谷台二)
坪井誠太郎 
生没年:1893-1986
父:坪生正五郎
地質学、鉱物学、岩石学者
1926 理学博士
1928 東京帝国大学理学部教授
1939-1945 国立科学博物館長
1971-1980 東京地学協会会長
妻:平山百合(父:平山信)
1925- 正道
坪井航三
生没年:1842-1898
父:原顕道
義父:坪井信道
幼名:信次郎
1874 海軍少佐
1881 海軍中佐
1884 軍事部第2課長
1885 海軍大佐
1886 艦政局次長
1889 高千穂艦長
1889 常備小艦隊参謀長
1890 海軍少将
1890 佐世保軍港司令官
1892-1893 海軍兵学校長
1893-1896 海軍大学校長
1894 第一遊撃隊司令官
1894-1896 旅順口根拠地司令長官
1895 男爵
1896 海軍中将
1896-1897 常備艦隊司令長官
1897-1898 横須賀鎮守府司令長官
従三位勲二等功三級
妻:山下賀尾1860-1946(父:山下義和)
1876-1928 九八郎
1879-1915 中島信二郎(義父:中島某)
1881- 道子(夫:岡見敬一)
1884- 清子(夫:牧野英一)
1886-1906 源子
1887- 原顕三郎(義父:原俊則)
1889-1973 淳四郎
1891-1955 浩五郎(妻:松井雅1905-)
1892-1950 保六郎
1893-1963 善七郎
1894- 豊子(夫:小山二郎)
1897-1972 須衛男
1898- 則子(夫:関登)
坪井九八郎
生没年:1876-1928
父:男爵 坪井航三
1898-1928 男爵
1911 貴族院議員
1915 農商務省副参政官
妻:
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